第1章 社会科学は社会現象をどのように捉えようとするのか #
in: 吉田敬『社会科学の哲学入門』勁草書房、2021年
1. はじめに #
- はじめにイギリスのサッチャー元首相のインタビューを引用している。「社会なんてものは存在しない」という有名な発言。そこから「社会と個人との関係を社会科学はどう扱おうとしてきたのか」を考えるのが本章のテーマ。
- そのさい、存在論での議論と方法論での議論をさしあたり区別し、方法論的個人主義と方法論的集団主義からみていき、同時に両方が抱えている問題も示されるようだ。
- 導入となっているサッチャー元首相の発言だが、引用を読むと、結局、「社会」をどう理解しているのがポイントのようにも見える。なにせ「家族」の存在は前提になっているし、近隣関係の存在も前提になっている。
- 文脈からすると、ここで「社会」と呼ばれているのは政府のことだと理解できそうにも感じる。そうだとすると、なぜサッチャー元首相は「政府」と言わずに「社会」と言ったのだろうか。
- そもそも「政府が存在しない」とは言えるはずがない。ここで「社会」と言っているのは、「政府」の特定の政策=「社会政策」(?)だけを指しているようにも読める。
- そうすると、サッチャー元首相の発言は論理が通っていないのかもしれない。本当は「政府」の「社会政策」(?)に頼るなと言いたいのだが、それを存在論的に、少し無理のある言い換えをしているのかも。結果として、インパクトのある表現にはなっているのだろうけど。
2. 方法論的個人主義 #
- まず、方法論的個人主義の「源流」としてのホッブズ、スミス、ミル、また方法論的個人主義の発展に貢献したヴェーバー、現代の代表的論者としてのハイエク、ポパーの議論が簡単に紹介される。
- 一口に方法論的個人主義と言っても、かなり異なることがわかる。また、過去の論者の何を引き継ぎ、どこを批判するかという点から、方法論的個人主義の流れが描かれているような印象。
- よくわからなかったのは、スミスの「見えざる手」の議論の位置づけ。それは個々の行為者の「意図せざる結果」とされるのだが、そうだとすると、もはや方法論的個人主義とは言えないような気もする。つまり、個人だけからは説明できず、独自の次元のものとして説明しなくてはならなくなる?
- ポパーが提示したとされる制度論も同様。こちらも社会制度が「意図せざる結果」とされている。そうすると、この制度というものを説明するには、もはや個人だけに準拠するわけにはいかなくなり、別のロジックが必要になるように思える。どうなのだろう。
- なんとなくだが、心理学主義を否定することと方法論的個人主義との関係がまだよくわからない。心理学主義を否定したとして、そのとき方法論的個人主義のままであることは何を意味しているのだろう。要するに、あれかこれかではなく、折衷主義になるのだろうか。
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